最上町の農村文化・歴史

最上町の歴史風土

最上町の冬

最上町は、山形県の最東北部にあり、昔から小国駒という 日本有数の馬産地として知られ、人と馬が一つ屋根の下で 暮らすなど、人々は小国駒の里として馬と関わりの深い営み を続けてきました。 四方を奥羽山系の山々に囲まれた最上町は、すり鉢の底の ような小さな盆地を形成されたことにより、藩政の頃より 「小国」と呼ばれるようになった。また、噴火によって四周が 「カルデラ地形」を成形したことから、峠筋から山水が流れ出し、 最上小国川、最上白川へと注がれてきた。 この峠から流れ出た清流の恵みにより、当地区の田畑が潤わされた。 夏季の独特な気象「やませ」は冷気を含み、稲作には厳しい条件で あった反面、この「やませ」による風が草地を速く乾燥させることから、 馬産にとっては適地とされ馬文化が栄えた。

このように「カルデラ地形」から成るこの盆地は峠にまつわる歴史風土が色濃く、町全体が自然の恩恵を受けてきました。 この厳しい自然がもたらす山紫水明の豊かな風土は、人々の生命を育み様々な歴史と農村の文化を今日に伝えています。 小国郷を治めていた細川氏が戦国時代(天正年間)に最上義光に一掃された後、小国日向守が本城に城を築いたが、最上家改易 により戸沢藩に属し、新庄領となり明治維新を迎える。戸沢藩時代は、羽州街道から仙台領に至る小国街道沿いの町として栄えた。 この間松尾芭蕉が尿前の関から山刀伐峠を越え、義経一行が亀割峠から平泉へと落ちのびていったと伝えられています。

最上町の農業景観と歴史

最上町の秋、稲の杭掛け

小国郷農村空間の特徴は、奥羽山系の雄大な山谷を背景とした 大草原と小国川・白川等の沿岸に拓けた水田地帯であり、その滑らかな流れにより小国盆地に美しい田園景観を創り出しています。 カルデラ地形という特色から数多くの源流に恵まれ、まさに山紫水明清流の町です。数多くの水源の存在により、町内には数々の用水堰が開発され今日まで受け継がれています。 数が多い反面、水量が安定していないことにより、禿岳から流れる清流より取水した前森の赤沢堰は、開拓者の先人の知恵として水争いが起きないようにと、均等に配分された「分水枡」や、「逆堰」、「分水嶺」など先人の血と汗を物語る農業の歴史に関する施設が残されています。 また、町内各所に見られる沢田では、稲刈り期になると田園に稲の杭掛け風景が見られ、風物詩ともなっています。細の原山、市の沢山、合の山の里山沿いには、散居・段田・沢田等の懐かしい風景が残っており、さらに、「やませ」に悩まされてきた本町の稲作の安定生産の願いが「保温折衷苗代」発祥の地として先人の苦労が伝えられています。 ほかにも、開拓記念碑など、数々の「農」にまつわる文化遺産を 今日に伝えています。