サテライト(展示物)一覧

サテライトⅠ 義経逃避行の道

①亀割子安観音(かめわりこやすかんのん)

義経一行が、奥州平泉に向う途中、北の方が「亀若丸」を出産したといわれています。その時義経一行が北の方の安産を祈願した観音様と伝えられています。

②瀬見温泉湯前神社(せみおんせんゆまえじんじゃ)

弁慶によって発見された瀬見温泉の守り神で、亀若丸の 産湯として使われたといわれています。 毎年九月一日には義経を偲び中尊寺、毛越寺の僧侶による 供養祭が行われます。

③瀬見渓谷(せみけいこく)

小国川が最上盆地から舟形町に向う途中に 成合淵と呼ばれる狭さく部を通ります。 岩盤が露出し大きな岩がごろごろしています。 清流と周囲の山々が調和し、四季折々の 渓谷美を見せています。

④弁慶の硯石(べんけいのすずりいし)

瀬見発電所へ渡るつり橋のたもとに、大きな平らな岩があります。亀若丸の名をつけるとき、この岩を硯のように削って、硯として使い、墨をすったといわれています。

⑤月楯弁天(つきだてべんてん)

祭神は市杵島姫命、即ち弁財天で、小国(最上町)開発草分けの伝説の発生の神で、安芸国から来たと伝えられています。北の方が難産で苦しんだ時に祈願したところ、無事にお産をすませることができたそうです。義経一行がここを通り過ぎる折、弁慶を代参させてお礼を述べさせたということです。

⑥月楯弁天の格天井(つきだてべんてんのごうてんじょう)

お堂の天井は、着色絵でいっぱいです。また20枚にも及ぶ絵馬が庶民の信仰の厚いことを物語っています。特に目を引くのが、養蚕のお礼詣りに来た姿の絵馬であったりして、これらは養蚕の神として信心されていた弁天様であったことを示しています。

 

 

サテライトⅡ 神室の恵み小国郷田園の道

①白鳥公園

白川橋より上流1km付近が、最上町の白鳥公園として白鳥や鴨の天国になっています。11月末ごろから野鳥の観測が楽しめます。

②上鵜杉(かみうすぎ)ゲンジボタルの会

上鵜杉地区では、ゲンジボタルの生息している地域の環境保全をするために、生息地の環境に配慮し、水質調査や蛍の幼虫期にエサになる「かわにな」を調査しながら子ども会を中心に、地域ぐるみで蛍の里づくりに取り組んでいます。

③稲の杭掛風景(いねのくいがけふうけい)

最上町でも稲刈りはコンバインで一気に籾までにしてしまうのが主流ですが、まだまだ天日干しは健在です。稲を一本の棒に掛けていくのが稲杭掛けです。自然乾燥された、お米は抜群においしいです。自然と調和した、こんな風景がとても素敵です。

④白川渓谷(しらかわけいこく)

白川渓谷は、最上町の北、東法田より更に北にあります。 白川ダムの上流部で大又沢の沢沿いです。渓流釣りで有名で、イワナやヤマメなど沢山の釣り人が訪れる場所でもあります。下流には、最上白川渓谷公園もあり、キャンプやバーベキューなどを楽しむことができます。

⑤日本一の大赤松

山神様の大松といわれるご神木の東法田の大アカマツ。地元菅家の氏神である山神様の神木で、日本一のアカマツです。山形県の天然記念物に指定されています。

⑥八幡様の大杉

最上町文化財指定天然記念物に指定されている八幡様の大杉。八幡神社の参道のぼり口に立つ4樹で、神木として整然とした姿が特に美しい。

⑦神室(かむろ)連峰雪形

みちのくのアルプスと呼ばれている神室連峰は、東北一と言われている痩せ尾根が南北25kmに及ぶ。主峰神室山、最高峰小叉山、鋭鋒火打岳から南端の杢蔵山に至る連峰の東面には、偏東積雪により生じた急峻な断壁が連なる。特に、火打岳は連峰のほぼ中央に位置し近年、日帰り登山が容易になっています。

⑧権現山(ごんげんやま)の大カツラ

滝のように立ち昇る7本の幹からなる、権現山の大カツラ。主幹はコブを浮かべ、地上2メートルより7本程の幹が滝のように立ち昇ります。中心に空洞があり、幻想的な世界を漂わせています。

⑨太郎田観音堂(たろうだかんのんどう)

若宮には、太郎田観音があり、最上33観音の第32番札所となっています。本尊は、11面観音。この観音を管理する滋雲山明学院は、明治初期までは葉山はの修験で、その後に天台宗の寺院となった。伝説によると、小国の地は、天平年間頃に開かれたが、この観音はその開発に携わった伊豆三郎という人の信心仏を祀ったことに始まります。

 

 

サテライトⅢ 小国駒大草原の道

①向町馬市跡地(むかいまちうまいちあとち)

馬の中心的施設産馬組合のあった広い敷地では毎年150頭の馬のせりが行われ、馬市があると100軒以上の露天商が軒を並べるほど盛況でした。現在はJA裏の一部に面影をとどめています。

②縄文竪穴住居跡地(じょうもんたてあなじゅうきょあとち)

水上遺跡は向町小学校裏手一帯に拡がる大きな集落を形成していました。休み時間や放課後に周辺の畑から子供達が土器や石器を数多く表採していました。ここでは25棟の竪穴住居跡が発掘されています。

③大天馬様(だいてんばさま)

大己貴神(おほあなむちのかみ)と少彦名命(すくなひこのみこと)が祀られており、医薬の神様、作の神様であり大天馬王を祭る馬の守護神。また、腰から下の病を救う神として女性の参拝者が多いことで 知られています。

④前森原大草原(まえもりだいそうげん)

120haの広大な町営の前森牧場は、のんびりと牛の放牧が行われ、癒しを求めて多くの人々が訪れています。ここには田園空間の総合案内所「農遊館」があり町内にあるサテライトの紹介を行っています。

前森高原のホームページ

⑤前森開拓記念碑

昭和21年、13戸32人の開拓者が前森原牧野に入植し開墾が始まりました。多くの困難を克服し今日の基礎を築いてきました。

⑥大場満郎冒険学校(おおばみつろうぼうけんがっこう)

南極、北極単独徒歩横断などで知られる世界的な冒険家・大場満郎氏が生まれた町。前森高原には大場氏が指導する冒険学校があります。

大場満郎氏のホームページ

 

サテライトⅣ 日向の森・歴史と里山の道

①本城楯跡(ほんじょうたてあと)

向町の東、小高い山があります。五百年ほど前に細川氏が舘を 築き長いこと小国郷一円を手中にし納めていたといわれます。 戦国時代の末期になり最上義光に侵攻され、敗れます。 この戦に功のあった天童蔵増氏の嫡男がここに小国城を築いて 小国日向守を名乗ったとされています。城山はひっそりと林に 囲まれていますが、今なお、お城山と呼ばれて人々に親しまれ ています。

②城跡線

舘主の小国日向守やその家臣が城へと通った道です。 途中の、山の神様、大平山、御前清水(すず)を散策さながら、 山頂までの道程約20分、眼下に広がる小国郷の盆地を望み、 清流絹出川と八森山・火打岳・小又山などの神室連邦を一望 しながら、歴史を振り返ってはいかがでしょうか。

③回帰の森

本城楯跡の裏山一帯の十五ヘクタールは「回帰の森」として 町内外の人に親しまれています。 遊歩道やみはらしの丘など、四季の彩りと森の息吹を全身で 感じ取ることができます。縄文時代以来築かれてきた日本の 文化は森の文化といわれています。 人々が今一度、豊かな森に回帰し、より健全な森に回帰させる という願いをこめて名付けられました。

④回帰の森案内

生活環境保全林「回帰の森」は、縄文の森・廻向の森・礎の森の 三つのゾーンになっています。 それぞれの森からは自然の恩恵が体験でき、里山の自然林を 守っていくことの大切さなどを体験できます。 そしてみはらしの丘からは最上の大自然が一望できます。

⑤林道本城線

本城集落から花立峠に向う県道につながる延長4kmの林道です。 落葉広葉樹林を両側に見て、春の新緑、秋の紅葉は自然の彩の 美を視覚的に体感させます。

⑥ミズナラ林

日向の森に約60ヘクタールのミズナラ林が、林道本城線沿いに 広がります。 秋の紅葉時期には、深まる秋を楽しみながら、うるしやモミジの 紅やミズナラの黄色のトンネルを散策するハイカーが多い。 是非一度足を運んではいかがでしょうか。

 

 

サテライトⅤ 懐かしいふるさと発見の道

①赤楯山楯跡(あかだてやまたてあと)

田沢内匠介の住居跡と伝えられているが、築楯年代や 滅亡年代は、明らかでない。田沢内匠介は天平年間に この地に来て、田沢村を造ったとされ、いわば小国郷の開祖に されています。 しかし、これは伝承であってそれを裏づけるものは、現状では 見当たりません。

②蛍水路(ほたるすいろ)

冬期間を除いた期間で、蛍水路を利用し学校の授業で、 生物や植物の観察などをしています。 また、地区の憩いの場にもなっており、地区の方も草むしりなど、 蛍水路を整備しています。蛍の発生期間前後は、蛍を刺激しない ように蛍水路の周辺の草むしりなどをしないようにしています。 その甲斐あって、年々蛍の数が増えています。

③沢田(さわた)

沢の奥には、温湯が出るところがあったり、水が豊富なため 沢の奥まで水田を造ったため、凶作などには強かった。 昔は棚田であったが、重機の改良などで昭和45年頃から 1枚の田の面積が大きくなりました。

④種籾芽だし場(たねもみめだしば)

上流部の源泉より温泉が流れて来る温水を利用して種籾の 芽だしをしています。真水よりは短期間で芽だしが出来るので、 地元の農家はもちろん他地域の農家も利用しています。

⑤地蔵様の大松

傘状に枝を広げた優美な樹形に加え、木肌が見事な肌色の 典型的なアカマツです。古くから地域の人々が親しみを持ち 長く守り育ててきた地区のシンボルであり、町の天然記念物で もあります。

⑥上満沢地蔵堂(かみみつざわじぞうどう)

地区の子守地蔵堂で、昔は地蔵堂で子供たちがよく遊んでいた。 また子供が生まれると33日目にお参りをしていた。 上満沢地蔵堂は、小国西国33観音巡り、21番丹波国 菩提山 穴太寺 聖観音でもあります。

 

 

サテライトⅥ おくの細道芭蕉浪漫の道

①分水嶺(ぶんすいれい)

陸羽東線の堺田駅前には、太平洋と日本海へと分かれる 「分水嶺」があります。 平坦な場所にある分水嶺は全国的に珍しく、東西の海へと 分かれる分岐点を目の前に見ることができます。

②封人の家(ほうじんのいえ)

1689年5月、松尾芭蕉翁は仙台領尿前の関から中山越えを 経て小国郷に踏み入ります。 時は、すでに夕暮れとなり、封人の家に宿を求めますが、 あいにくの大雨のためここに2泊しています。 封人の家とは、国境を守る役人の家のことで、堺田村の庄屋、 旧有路家の住宅がこれにあたります。国境の庄屋家屋に ふさわしい構えで、国の重要文化財に指定されています。

③トロッコ橋

新田集落の戦後の歴史を見続けてきた「トロッコ橋」。 大森山の木材を現在の赤倉温泉駅までトロッコで運ぶために 明神川に架けられた橋です。 新田集落のシンボルでもあるトロッコ橋を地域おこしに活用しよう と、7月に「トロッコ橋活用委員会」が設立し、活動の手始めとして、老朽化した橋の一部補修することになり枕木や歩み板の 交換作業を行いました。 今後、トロッコ橋を活用したイベントを行なう予定でいます。

④赤倉温泉スキー場

平成13年リニューアルオープン、初心者から上級者まで楽しめる ゲレンデが整備されました。スキー場からは、神室連峰と 小国盆地が一望できます。 平成16年には、冬季国体のアルペン会場にもなっています。

⑤おくの細道中山越え

仙台領と小国郷の峠に位置し、中山越えの旧街道は、 奥の細道中山越えとして保存整備され、芭蕉の思いを 辿ることができます。

⑥万騎ノ原古戦場(まぎのはらこせんじょう)

当町の歴史上、もっとも古い人物としてとりあげられるのは 小国領主の細川兄弟です。 戦国末に兄弟で当地を治め、天童城主の天童頼澄と姻戚関係に あったことは、確かなように思える細川氏は、最上義光に背こうと したことが、滅亡の原因であったと言われています。 細川氏は、最上義光の大軍勢の進攻によって滅ぼされることに なったが、その時の主合戦が行なわれた所と言われています。

⑦富山馬頭観音(とみやまばとうかんのん)

最上三十三観音の三十一番札所で、馬の観音様として 県内外の信仰をを集めています。 観音堂には、二百面近くの絵馬が奉納され、信仰の深さを 物語っています。 小国郷ではかつて、二千頭もの馬が育成され、名馬「小国駒」の 産地として栄えました。

⑧東善院トチの木(とうぜんいんとちのき)

最上三十三観音の三十一番札所である東善院の観音様の 境内には、樹高35m、樹周は6.2mもあるトチの木の巨木が そびえています。 樹齢は、500年ともいわれ、長い歴史を物語っています。

⑨山刀伐峠(なたぎりとうげ)

元禄太平の5月17日芭蕉と曽良は山刀伐峠を越えます。 「高山深々として一鳥声聞かず、木の下闇茂り合ひて夜行く がごとし」と奥の細道紀行に記しています。 峠越えは相当の難所のひとつで、肌に冷たき汗を流しながら、 大変なおもいをして尾花沢へと向ったことがうかがえます。 現在は、峠の下をトンネルが通り、快適な車道が整備されて いますが、かつての難所の峠道は、歴史の道として保存されて います。

 

うっそうとした森につつまれ、森の精霊達にでも出会えそうな 深閑とした散策道をたどると、当時の芭蕉一行の心細さが 伝わってきます。 峠の山頂には、地蔵様が祀られ、樹齢200年のご神木、 山刀伐峠の子もち杉が傍らにそびえています。